スポンサーリンク
吉橋先生にレッスンを受けるようになった時は、脱力の意味が全くと言っていい程理解出来ず、全身固めて鍵盤を叩きつけ、筋トレさながらに練習をしていました。
私の腕の力こぶをみて、「ピアノを何に使ってるの?」と聞いてきた友人がいましたっけ…
初めの内、「鍵盤を触るだけ」の状態にする事が中心でした。
あれから、もう4年にはなると思いますが、脱力も進化して、ただの脱力では賄えないというか、脱力してるだけじゃ、意味がないというか、脱力ってなんだっけ!?と、またスタート地点に立たされている感じです。
何か、一つの目標があると、兎角それだけに一生懸命になりがちですが、それって、実は本質から遠ざかってしまうのではないかな?なんて、疑問を抱いています。
猪突猛進型、思い込みの激しい私は、特に陥りやすい落とし穴なもので…(笑)
脱力も、必要以上になれば、気の無い音になりますし、何やってるんだか、何をしたいんだか、さっぱりわからない音楽になります(既に音楽とは言えませんねw)。
最終地点は何処でしょう?
表現したいことが、聴き手に伝わる事です。
作曲家、曲に対する理解、知識。音になった時、流れた時のイメージ等々…
これ、全部頭の中が先じゃない?
要するに、表現の為の脱力でなければ意味がないと!(+_+)
四六時中全部脱力したままでは、音もぶよぶよになる訳です。
脱力もテクニックの内と考えると、その使い方やあり方も、考えさせられるのでした。
そうは言っても、肩や腕等、ほぼ全体の力を抜くことが目的だった時には、「部分的に脱力をする、しない」なんていう事も、言われた途端に全身硬直しただろうな、と想像が付くので、多少は進歩していると考えましょう(*^_^*)
さて、分かって来た所で、「頭の中の音楽」を積み上げたいと思います♪
心の無い言葉
考えが浅い文章
音楽も同様に、積み上げた物が有るのか無いのか、伝えたいことが有るのか無いのか、聴く人には一目瞭然ですから…
常に 「自分に軸を」 持って弾けるように♬
スポンサーリンク
コメント