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「聴き手の心が動く演奏」をしたい!
大人になってピアノを再開してから、ずっと持ち続けている課題です。
「先生を感動させたい!出来れば泣かせたい!」なんて、大それたことをいつも思っていました(笑)
さて、人の心が動く演奏って、なんでしょうね?
私は、自分の心が動くように、曲にも心を込めないいといけないと思っていました。
(し、そう教わっていました。)
ピアノを弾いた時、曲を直接伝えるのは演奏者になりますが、その前に作曲家がいて、その人が書いた楽譜があります。その当時の時代背景等も考え出すと、実に膨大な量の「伝えること」があることは、簡単に想像できます。そして、それらが凝縮されているのが楽譜なのでしょうね。記号がたくさん書かれていたりもしますが、作曲家本人が書いたものではないものがあることも、ここ最近知り、全て鵜呑みにして伝えるのもちょっと違うのだな、と、レッスンを通して考えさせられました。
曲を聴いて、どう感じるかは、人それぞれで千差万別です。
その中には、弾く「自分」も含まれています。
その自分が感じるように弾くのも、作曲家の作った音楽や伝えたいこととは離れて行くのではないかとも考えます。また、時代背景や作曲家の人となりを、というと、どうしても感情的な部分から曲を考えよう、感じようとしてしまいますが、それもまた、曲の再現からは離れて行く原因になるようです。
いつも、「ただ弾くだけで、伝わるものがすでに備わっている」という、吉橋先生の言葉に思いを馳せます。
私は、どちらかというと、自分勝手に弾いていましたので…
それはきっと、独りよがりの押しつけがましい表現だったのではないかな、とも考えます。
好きなように表現したっていいじゃない!それが自分らしさでしょ?
という声も聞きますが、自分らしさは、出そうとしなくたって、出てしまうものだと思います。
同じ曲を弾いても、誰かと全く同じになることはありませんから。
とはいえ、友人から「あなたが弾いているんじゃないみたい」と言われた時は、ちょっとショックでしたが…(^_^;)
今思えば、あの時から「まず基本に返る」道を歩き出していたのだと思います。
自分らしさというのは、基本を重視していても、内からにじみ出てしまうものだと思いますし、基本があるからこそ、表現の幅は広がるとも考えられます。
にじみ出る自分らしさが、「真摯さ」であることを願いつつ、今日も練習に励みます♪
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