曲の中の想い?重い?

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作曲家は、この曲に想いを込めて作ったのだから、それを再現するのが…と言う言葉は良く耳にします。
実際、何年か前の私も、そう思っていました。

身体をうねらせ、顔の表情も曲と共に変化し…その様な演奏が、心を込めている演奏だと感じていましたし…
けれど、「本当に、一曲一曲皆が考えているように、想いを込めて作られたと思いますか?」先生から投げかけられた言葉も手伝って、最近は、心を込めて…と聞く度に、違和感を覚えます。感情を込める、心を込める事が、直接、表現につながるとは思えなくなったからです。
例えば、詩を書いたり、ブログを書いたりする時も、書きたい衝動に駆られての事ですが、最初に生まれたものを、そのまま載せる事はありません。言葉を選び、何度も見直し、自分が表現したい事が人に伝わるかどうか、文法や誤字脱字、言葉遣い等、様々な見直し、手直しをします。
作曲も同じなんだろうな…と、吉橋先生のレッスンをを通して、徐々に理解してきたと思います。
はじめは、演奏する時、奏者は、聞き手と同じ感情にいないと聞いて、とても驚き、理解出来ませんでした。
作曲家の表現したい事を再現するには、その曲に自分の「感情」を乗せる以前に、楽譜を読む、曲の作り、時代背景等を知る必要があると、感じています。
感情や心を込めた時点で、作曲家ではなく、個人の主観になってしまう恐れがある事に、気付かされます。
それは、楽譜「作曲家の想い」からは、離れてしまう事になるのかもしれない…
というのが、ここのところ、ソナチネの勉強を通して、考えてさせられている事でした。

曲に対する感想は、大枠は同じ方向であっても、受け止め方は人によって違います。
そこから見える風景や、感じる匂い、温度は、人それぞれです。
友人の、月の光(ドビュッシー)を聴いた時、私には、満月が見えて、少し湿気のある夜の匂いがしたのですが、それを友人に告げると、「細い三日月を見せたかったのに〜」と言われました。でも、月を感じる、大まかな方向は外れない、それが、「作品」の想いを伝えている、楽譜に忠実な演奏なのだと思います。
「再現音楽」レッスンで、先生が良く口にする言葉です。
個人の感想を通り越して、人の心に届く演奏をしたい…私の永遠の目標です。

余談になりますが、学ぶにあたり、音楽之友社から出版されているソナチネアルバムを購入しましたが、解説がとても充実していて、それぞれの作品の作りが、図で学べるようになっていて、驚きました。

中でも、「基本的な表現方法」で書かれている内容は、その殆どが、常日頃先生から繰り返し言われている事ばかりでした。
基礎が足りない、その基礎が、ソナチネを学ぶ事で身につくのは、そういう面も含まれるのだと、納得しました。ご参考まで♪

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