月別アーカイブ: 2014年3月

衝撃的な事実

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ピアノを習っていて、(特に吉橋先生に付いてからは)沢山の「驚き」に出会っていますが、中でも、未だに忘れられない衝撃的な瞬間の一つは、
「演奏家が、演奏している時、聴き手側と同じ心境にはいない」
ということを知ったことです。
師でもあり、ピアニストの吉橋先生から伺ったことですが、漫画に出てくる
「ガーーーーーーン!!!!!」と言う吹き出しが、ピッタリ来る瞬間でした。

音楽から得られる感動は、元気が出たり、涙が出たり、笑顔になれたり、計り知れません。実際自分で練習している時でも、和音の美しい響きに、うるっと来てしまうことだってあります。
当然、音楽を奏でる人は、そういった心境の中で、内から込み上げて来る感情や感動を演奏を通して再現しているのだと、信じていましたので…

それまで、「心を込めて」とか、「感情豊かに」とか、言われてきたことはなんだったんだろう!?と、すごく不思議になりました。

音楽家は、音楽を聴いても感動しないのかな???
じゃあ、演奏中は何を考えているんだろう???

と、あれこれ疑問が湧きました。
その時は、なんとなく理解できたような、でも全然納得いかないような、どうにも腑に落ちない気分だったことを覚えています。

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さて、あれから3年ほどになりますが、最近、友人から、あの日私が先生にした質問と、同じことを聞かれました。
さぞ感動しながら弾いているんでしょう?と…
途端におかしくなって笑い出してしまいました。
ああ、聴いている人は、やっぱりそう思うよね、と。
でも、同時にふと、それって、「そうであって欲しい」という、願望じゃないかな?と思ってしまいました。
人は、自分の心境を誰かと共有したいものです。ましてそれが、自分を感動させる音楽を奏でる人なら、一緒であって欲しいと、どこかで願ってしまうのも、当たり前のような気がします。以前は、私もそう思っていました。
誰だって、素晴らしい音楽を聴いた後に、演奏者が、全然違うことを考えて弾いていると知ったら、え!?って思いますよねw
でも、伝えたいと思えば思うほど、技術的にも思考回路的にも、必要なことが沢山で、まだまだスペースは足りません。

あの日、先生のお話にびっくりした私は、今では「感情を曲に込める」ことからは、随分離れた場所にいます。

友人の質問には、「感動なんてしている暇ないよ!ここをこうするとか、どうするとか、次は次は!で、考えてるのが手一杯!」と答えました。
友人が、驚いた顔をしたのは言うまでもありません(笑)               
その後、「じゃあさ、じゃあさ、あれは?これは?」と、質問攻めにあいました。

さあ、今日も「心が動く演奏」に必要な脳みそを強化しましょうか♪

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連動

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ピアノを弾く上での「連動」
ここ最近とても良く考えることなのですが、連動と一言で言っても、

骨の連動
思考の連動
動作の連動
響きの連動

などなど、様々な連動あって、その連動が他の連動にも連動していて、連動の連鎖というか、結局全部つながるんじゃないの!?みたいな感覚になることもあり、面白いな~と感じています。

ヨガをやったことのある方には、解りやすいと思いますが、大地のエネルギーを、地面と接しているところからもらって、身体を巡り、呼吸で大気に返していき、自然のエネルギーに、体がつつまれる感覚を感じる時に似ています。

音楽を聴いている時も同じで、地面から連動する響きが、身体を通じて空気に放たれて、景色と混ざって空気に溶けていく。また、その逆を感じる時もありますが、それも様々な連動が重なって出来たことの様に思います。

さて、その連動を、作り出す方に回りたいわけですが、感じるよりはるかに難しいです(笑)
全てを一塊に連動させたいのですが、考えると、どこか一つに集中してしまい、他が疎かになります。
それを少しでもなくすためには、考えなくても出来ることを増やせばいいのですが、これがまた、大変な積み重ねが必要です。

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今はもっぱら、思考と動作の連動に四苦八苦しているのですが、どうしてもコントロールが効きません。
頭では曲は流れているのですが、どうも脳と指がつながらないのです。
以前、レッスンで、「騎手が馬をコントロールできずに、馬だけが先走っている感じ」と指摘を受けたことがありましたが、未だにそのままなのがよく分かります。
そうなっていることに、改めて気付かされている毎日です(>_<)

グラドゥス・アド・パルナッスム博士は、様々な連動の必要性と、連動した時の何とも言えない感覚を感じることが出来ます。
ふとした瞬間、ではなく、曲の間中その感覚を維持できれば良いのですが…

一度に考えなくてはならないことが、多いからか、まだまだ時間がかかりそうです。
今日は、ハノンで出来ることを、徹底的に曲で実践してみようと思います。
動作先行を、思考先行に!!

今日もがんばりましょう♪

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棚から牡丹餅

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21日からの3連休で、箱根旅行に行ってきました。
温泉に、美しい山々に湖に、すっかり心を洗濯してもらえた心地です。

この月曜日は、旅の後片付けに追われ、気付くと、4日間ピアノを弾いていませんでした。
「絶対毎日触らないといけない」「1日触らなければ3日前に戻る」そう思って過ごしていましたので、めったにこんな機会はありません。
1日目は、ピアノを弾きたくて、仕方がありませんでしたが…

そして昨日、4日も触らないで、さぞ衰えていることだろうと思いながら、久しぶりに弾きましたが、不思議なことに、思ったほど衰えていませんでした。
以前は、もっと、色々なことを忘れて?出来るようになっていたことも、逆戻りしていた記憶があります。それが嫌で、毎日練習を欠かさなかったのですから。
それに、身体の力みがすっかり無くなっていて、より体の軸や、脱力の感覚をつかめる気がするほどでした。ちょっと余分な力が入ると、その違いが面白いほどわかるのです。
棚から牡丹餅❤です。
少々拍子抜けでしたが、ピアノに触らなかった時間のお蔭で、思わぬ収穫を得ることが出来ました。

さて、こんな牡丹餅を、ただもらっただけで終わらせておくのはもったいないと、今日は1日、その理由を考えていました。

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まず、脱力の感覚ですが、この感覚を以前にも増して得られたことには、脱力しているつもりでも、抜け切れていなかった力みが取れたことが、大きな理由だと思います。
旅行中の行動などを振り返ってみると、とにかく良く歩いていました。
食事も、野菜中心のバランスの良いものでしたし、早寝早起きでした。
後は、スマホやパソコンに向かう時間が圧倒的に少なかったので、それも関係あるかな…
と、このあたりが関わりがありそうに感じます。

そして、逆戻りについてですが、一つ思いついたのは、「頭を使って練習していたかどうか」の違いです。
毎日練習しないと3日前に戻っちゃう!と、ただがむしゃらに練習していた時と、明らかに違うところはその部分です。
何を得るために、どうすべきか、を考えて、動作と思考をつなげようとしていたことが、ほぼ同じところから再開できた原因のような気がします。
ひょんなことで、日頃目指していることの効用?を再認識しました。

もう何年前になるでしょうか、NHKのスーパーピアノレッスンで、ジャン・マルク・ルイサダが「日本人はピアノばかりを練習しすぎです。7時間ピアノを弾くなら、4時間は他の芸術や文学や、ピアノ以外の勉強をすべきです。」と仰っていたことを思い出しました。

こんなところでも、「ねばならない」に縛られていた自分に出会いました。
遠回りだったり、余計なことだったり、絶対だめだ!と思っているようなことからも、ちょっと見方を変えてみると、得るものがある様です♪
心と体を柔軟に、視野は広く!ですね。
そして、ねばならない、からも少し距離をおいてみたいと思います(#^.^#)

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泣きそうだったこと

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昨日のレッスンで、先日、卒業式でしっかりと伴奏を務め上げた生徒が、同時進行で練習していた、「旅立ちの日に」の伴奏を、簡単に書き換えていない楽譜の方で、演奏してくれました。
曲が曲だけに、うるうる来るのをこらえていましたが、学校では省かれている間奏部分も、きっちり弾いてきてくれていて、何よりもその前向きな姿と、成長に、泣きそうになりました。
どれだけ涙腺弱いんだろう~(笑)
ちゃんと堪えましたけど…でも、ほんっとうに危なかったですw

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さて、いよいよ「エリーゼのために」です。
今回は、苦手意識を克服するためのアプローチから入ろうと思います♪

さあ、今日も頑張りましょう❤

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シフ のリサイタル

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紀尾井ホールにて・・・
(バッハ、バルトーク)

先生が日頃おっしゃっていることが、全部揃うとこうなります。と言われている様な気分で聴きました。

途中、以前先生が「麦の匂いがする様」な、と、バッハのインベンションのレッスンの時におっしゃっていたことを、思い出しました。
その演奏は、無性に懐かしさが込み上げて、一瞬、麦の匂いがしたのです。友人が、「匂いがする時があるんだよ」と言っていましたが、本当にあるんですね。お昼にバケットを食べましたし、思い込みかもしれませが(笑)
バルトークは、全ての音の響きの素晴らしさと迫力で、圧倒されました。一つ残らず音に意味がある、と言うことを体験しました。

サントリーホールにて・・・
(ベートーヴェン)

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最初に、ピアノがベーゼンドルファーであることに気付き、一気に胸が高鳴りましたが、紀尾井ホールでのリサイタルとは打って変わり、終始緊張して、のん気に聴くことが出来ませんでした。
美しい、どこまでも幽かな高音に、天へ上る様な心地になると、地響きが遠くからやって来る様な響きに覆われます。その落差に加え、シフの途切れること無く続くとてつもない集中に、鷲掴みにされた気分でした。
アンコールで弾いてくれた、ゴルトベルクはやはりシフのバッハで、ああ、ピアノの違いって、そんなに関係なかったのかしらね…と思わされたり、シフの心温まるスピーチに続いて最後に演奏された、ベートーヴェンのソナタには、やっぱり何かを訴えかけられているように感じ、ふと、『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』と言う、ベートーヴェンの言葉を思い出しました。

何もできない自分を不甲斐なく思うばかりですが、「思いを馳せる」ことは、忘れないでいられるかな…

サントリーホールのリサイタルについて書かれているブログを見つけました。
思わず、うんうん、と頷きながら読んでしまいました。
私は物は書けないな~と思い知らされつつ(笑)
昨日のリサイタルが鮮やかに蘇る内容でしたので、読んでみてください♪
小田島久恵さんのブログ

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電子ピアノ?アコースティックピアノ?

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先日、「アップライト?グランドピアノ?」について書きましたが、今の時代に外せないこの問題もありましたね。

電子ピアノか、アコースティックピアノか…

特に、お子様が習い始めることをきっかけに、ピアノの購入を考える際、一番頭を抱えることになる問題かもしれません。
あちらこちらで、沢山の相談や意見を見ますね。もしかすると、グランドピアノとアップライトピアノの比較よりも、問題(?)視されているかもしれません。

えっと…どっちでもいいかな(笑)

少々乱暴かもしれませんが、そう思っています。
習い始めは、鍵盤が88鍵無くても良いと思っています。
最初は、88鍵は使いませんし、座った姿勢を極力動かす必要のない範囲で弾く方が、体に余計な負担をかけずに、基本の姿勢が身に付きやすいと言う側面もあります。
実際、私がピアノを弾く時に必要な基本姿勢を、理解出来るようになったのも、あまり胴体を動かさずに弾ける曲を学んだことが、大きく影響していると感じています。

さて、電子ピアノでの問題(とされる)点を挙げてみましょう。

 *鍵盤が軽い
 *タッチが本物と違う
 *音が違う

大きくこの3つでしょうか。まとめると、案外少ないですね!ちょっと驚きました。
そして、この問題(とされる)のために、

 *指の力が着かないから、本物のピアノを弾けなくなる。
 *音の出し方が違うから、表現力が着かない。

などなど…
中には、電子ピアノやステージピアノでは、アコースティックピアノは弾けなくなる!なんていうご意見もありました。

それぞれに、特徴や、やれること、やれないことに違いはありますが、そんなに決めつけてしまう程の問題でしょうか?

鍵盤の重さと言いますが、感触の違いの部分もあります。
重さ的には果たして何グラム違うのでしょう?友人の実験によると、アップライトピアノの鍵盤を押すのに必要なのは、約60gでした。
実際、ピアノを弾く姿勢で、量りを中指で触ってみると、軽く80g前後の目盛りまで行きました。
更に、腕の力も抜くと、200~250g位。
それを支える指先は、結構力持ちですね。
重さの違いと言っても、その中での何グラム何十グラムか、の話です。
本来の指の力を考えると、あまり影響は無いように感じます。
また、タッチや、感触は、同じメーカーのグランドピアノ同士でも違いがあります。
調律によっても変化しますし、気候によっても左右されます。
最近の電子ピアノは、随分と改良されていて、感触も、よほどグランドピアノに近いのではないかな?と思うような機種もあります。
指先での調節は、アコースティックより神経を使うのではないかと感じたこともあります。
ピアニストが演奏される電子ピアノの演奏は、やっぱりプロだな!と思わされますし…
少なくとも、ピアノが弾けるようになるために、ちまたで言われているほど、問題にはならないと思うのです。

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それよりも、「電子ピアノではピアノを弾けるようにならない」と言う考えの方が、よほど問題ではないかと感じています。

前にも書きましたが、ピアノは持って歩けるわけではありません。

弾いた瞬間に、「違う!!!」と感じて、思考が停止してしまうような土台を作ってしまっては、もったいない。
私は自分自身を振り返ると、そう感じてなりません。(固定観念の塊でしたから…)

どこで弾いても、どんなピアノで弾いても、自分の目指す演奏を実現させるには、変化に対応出来る柔軟性と、その土台になる軸が、とても大切だと、常々感じています。
家のピアノだけではなく、色々な場所で、色々なピアノを弾く機会があれば、その手助けになると思いますし、良く聴ける耳、演奏に必要な思考回路などは、ピアノ以外でも身に付けられると思います。
私は、習い始めは、りかちゃん人形の玩具のピアノでした。鍵盤が足りなくなって、当時バイエルの付録に付いていた、紙の鍵盤になり、アップライトピアノが家に来たのは小学校3年生の時。叔母が使っていたとても古いピアノでした。しかもそのピアノが調律された記憶が殆どありません(笑)。父も母も、楽器には疎かったか、金銭的な問題があったのでしょうね。
結婚してすぐ社宅住まいで電子ピアノを壊れるまで使い、今のアップライトピアノに至ります。
だからその程度なんでしょ?!と言われればそれまでですけれどねw

主体は、演奏する「人」です。「アコースティックでなければいけない」と言う固定観念に囚われず、ピアノを弾く楽しみを味わえる方が増えることを願っています。

量ってみると、指それぞれにも違いがありました。
また、姿勢の取り方、手の形、支点にする指の関節によっても重さが変わります。なるほど、だから姿勢と、第三関節なんですね!
それについては、また改めて書きたいと思います❤
            

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アップライト?グランドピアノ?

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ピアノを習う上で、常に悩みの上位を占めている、この問題?についてちょこっと…(笑)

私はあまり柔軟な人間ではありません。
今は周りの方達からの良い影響のお蔭で、多少良くなっていますが、どちらかというと、変化を敬遠するタイプです。
余所で弾くだけでも、大変です。
教室のピアノと家のピアノの、ちょっとした違いにも反応して、その違いに囚われるまま囚われてしまうのです。
小学校のオルガンなんて、鍵盤が少ない!と言うだけで、もう大変だし、電子ピアノですら、慣れるまでに時間がかかって、弾くどころではないのです。
同じピアノであっても、小さなゴミが付いているだけで、切り替えが出来なくなります。

では、ずっとこうだったかと言うと、子供のころは、全然そんなことはなかったです。
鍵盤だったら、なんでもOKで、違いになど目が行っていなかったと思います。
少なくとも、その記憶はありません。
ただ弾くことだけを考えられていたのでしょうね…

実は、「ただ弾くだけ」これが結構重要でして、大人になってからの方が、そう出来ないのが面白いところです。
でも、「ただ弾くだけ」に集中できたら、楽器の都合は、左程問題にはならなそうです。

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さて、ピアノを弾く上で常に頭を支配するwこの問題。
私も散々悩みました(と言うより、振り回された?)。
ピアノ教室を選ぶにも、まずグランドピアノでのレッスンかどうか。
グランドピアノじゃないと上手く弾けない。
だってタッチが違うんですもの!
表現の幅が違うんですもの!
連打の回数が違うんですもの!などなど…

構造が違うので、出来ること、出来ないことに違いはありますが、本当にグランドピアノじゃないと、実現できませんか?
そう考えた時に、自分の実力の無さにも、気付かされました。

アップライトだから出来ない。じゃなくて、ただ単に技術が足りなかったのです。
様々な要素に対応できるだけの、経験と柔軟性を持ち合わせていなかったのです。

未だに、場所が変わると、対応力の無さで、思考を縛られますが、「私はどうするか」に重点を置くよう、努力しています。

「弘法筆を選ばず」
私にそういい続けてくれた、主人にも感謝します。
(常に、スペースの問題があったからでもありますが(笑))
どんなピアノでも、自分が目指す演奏を実現出来るようになりたいと思います。
ピアノは持って歩けませんしね…(*^_^*)

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泣きそうに嬉しいこと

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先ほど、生徒のお母様からメールが来ました。
なんと、予行練習で、ですが、卒業式の歌の伴奏を弾かせてもらえたそうなのです!
しかも、式当日も弾くことになったそうです!!!

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嬉しいです!泣きそうなくらい(笑)
十分準備期間がなかったにもかかわらず、良く頑張ったな~と
きっと、大きな自信になることでしょう♪
明日のレッスンが待ちきれません!!!

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忘れられない先生方

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心から「恩師」と呼べる先生には、そうそう出会えるものではありません。
私は、吉橋先生をはじめ、ほんの数人の先生方ですが、恩師と呼べる先生方に出会えました。
じゃあ、そのほかの先生方からは、影響を受けなかったかと言うと、まったくそんなことはなく、今でも忘れられない先生方が、何人もいらっしゃいます。
そういう先生も含めると、恩師の数は何十倍にもなります(笑)

中でも私を一番音楽に結びつけたのは、小学校5年生の時の先生だと思います。
担任の先生ではなかったのですが、当時音楽を担当されていたと思います。
ある日、体育館で、オーケストラが演奏され、先生は音楽をするために、教師をお辞めになりました。そのオーケストラは、先生が所属されていたか、お知り合いだったかでしたが、学校を離れる時に、機会を設けてくださったのでした。
未だにオーケストラの演奏を間近で聴いた、その時の衝撃は忘れられません。

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それから、中学校1年生の時の英語の先生。
いつも、英語の歌から始まる、本当に楽しい授業で、授業の殆どを英語でされていました。もちろん、英語が大好きになりました。
その先生は、私たちが卒業する前に、更に勉強したいと、学校をお辞めになり、海外へ留学されました。

他にも、忘れられない先生方は、沢山いらっしゃるのですが、特にこのお二人は、強く心に残っています。

きっと、この先生方のされた選択が、子供ながらに驚くことだったからだと思います。
父親は会社員、母親は公務員、大人が仕事を辞めるなんて、身近なこととしては想像もつかない。それどころか、自分の夢に向かって、さらに勉強したくて、と言う理由で、仕事を辞めるんですから!

未だにあの先生方は、どうされていらっしゃるだろうと、時折、ふと思い出します。
思うと、今の私は、あの頃から育まれてきているのでしょうね…
先生方に言わせれば、まだまだひよっこでしょうけれど。

影響は、ずっとずっと後から、じわじわと表ににじみ出てきます。
学んだことも体験したことも。
私もそうありたいな、と思います。

さて、今日も、何年何十年か先の土台作りをしましょうか♪♪♪

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吊り橋

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先日、脱力における、「操り人形」の例えについて書きましたが、もう一つ。
「吊り橋」と、例えられることについても、触れておきたいと思います。
「吊り橋」も、一度は耳にしたことがある人が多いかと思いますが、私にとってはこの例えも、理解できなかったものの一つでした。
操り人形と同様で、吊り橋状になる部分だけに、意識がいってしまうからだと思います。
この例えの場合、腕の付け根と、指先の鍵盤に触れる部分を支えに、腕がだらんとなるイメージなのですが、これも、土台となる胴体がしっかりしていないと、感触はつかみずらいと思います。
体重を必要以上に移動させたり、しっかりした音を出すために、前傾姿勢になっていては、土台がぐらつくので、分かりにくくなります。
ここでも、ああ、そういうわけで、呑み込めなかったのか…と、今になって気付くのでした。
他にも、鞭のように…などもありましたが、土台があって、それに連動して動く感触をつかめるようになって、初めて「鞭のよう」だったり「吊り橋」だったり「操り人形」だったりの、イメージと体が結び付くのだと思います。

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今はどの例えも、納得がいきます。
土台や軸の大切さを、あらためて感じたのでした。

ちなみに、今持っているイメージはこんな感じです♪
さて、身体の連動を感じながら、ジョギングに行ってきましょうか…

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